2014年2月11日火曜日

☆武術の伝承と運足について・・・メモ


 日本の武術とは実に奥が深い。それを会得したくて追い求めても到底辿り着けそうもない。
なぜだろうとずっと不思議に思っていたことがある。それは、日本の武術は戦を前提として発展してきた経緯があり、 剣術、矛術などの武器術と徒手空拳の体術などを総合的に学ばなければ理解できない部分が多いからだ。
 現代では、剣道、合気道、柔術、拳法、空手等に分類され、別々のスポーツとして分解されて伝わっており、 西洋のスポーツ的な要素がさらに加わって、競技としての格闘技でしかなくなっているからだろう。
 競技としての格闘技では、やはり体格が優る者が有利である。それはそれで、楽しめるスポーツの普及には良いのだろうがそれは武術ではない。

 武術は明治維新以降、その奥儀たるものは危険過ぎるゆえか隠蔽されている。
古来より伝承される武術には、いくつもの重要な要素があった。
運足と呼ばれるものもそのひとつで、現代人の歩き方や走り方、跳躍の仕方などは古来の武術のそれとは全く異なる。
現代人の走り方や歩き方は、明治維新以降に西洋的な要素が取り入れられた結果であり、維新以前のそれとは異なるらしい。
 以前、神足にも少し触れたが、武術の習得においてはこの運足は重要な要素のひとつだ。
 現代の格闘技には、術としての要素は全くない。
もともと、体も小さく肉食でもない日本人がなぜ重い鎧を身に着けて戦をすることができたのか。
はるか遠い地へ、重要な情報をすばやく伝達することができたのか。
もちろん、スーパーマン的な秘術が存在したわけではない。
ただ、現代の常識では理解できない手法がそこにあったのは確かだ。
かの有名な、武術伝書の「宮本武蔵 五輪書」にも記述があるが、現代の三重県から江戸まで一日で往復した記録があると言う。
五輪書を何度読み返しても、肝心なところは理解できない。 それ自体、宮本武蔵が弟子に書かせた経緯もあろうが、 そもそも、武術の奥義を伝承する上で用いられたのは口伝と言う手法で、文書にされたものはほとんどあてにできないからだ。
 口伝とは、師匠について稽古を通じ体感と理論を直接伝承される方法を言う。
そもそも、文書にした段階でそれらは伝わらなくなる。
格闘技を習得した人なら感覚的にそのことはわかると思う。
そう、格闘技は実は武術の要素の基礎部分でしかない。
術に進化させるには、筋肉を鍛えるのではなく、逆に力を使わなくする過程を学ばなければ会得できないからだ。
いかに、力に頼らずに力を封じることができるかは、いったん力を身につけた後にそれを手放さなければならない。
矛盾だらけだが、それらの経緯を経なければ会得できない。
 故に、会得できるまでの道のりは遠い。
真剣に格闘技を修練された方は、必ずこの疑問にぶち当たる。
因みに、この運足の伝承がされているのは格闘技の世界ではなく別の世界に伝承されていることにやっと気づいた。
深すぎて気が遠くなるような世界だが探究心が収まらない。
だから、人生は楽しい。
我が人生において、術の習得は武術も技術も深すぎる。いつになったら社会に貢献できるのかと思うと情けなくなる。
四の五の言いつつ、今宵も酒を酌む。( ̄▽ ̄)

0 件のコメント:

コメントを投稿