2014年2月24日月曜日

☆和食にみる日本人の「和」の心を振り返り想うこと・・・


 和食。
 私たち日本人の味覚の根底には、各個人で多少の違いはあるが少なからず和食がベースにあると思う。
和食とはなんと「雅」なものだろうか。
 「雅」とは、辞書をひくと「洗練されていて上品なこと。他人に対して敬意を表すコトバ」とある。
まさしく和食には澄んだ濁りのない出汁に、海のもの、山のものをその素材を活かすように大事に組み合わせ、
その命の犠牲に最大の敬意を表し、味と美しさを表現する。

 食べる前には、「いただきます」と合掌をもって犠牲となった命に感謝を捧げる。
一つ一つの個性を無駄にせず、さりとて組み合わせる素材で調和を奏でる。
この考え方の原点は、日本人の自然に対する敬意であり八百万の神として自然を敬う精神からくる。
 そして遊び心とは、そこに敬意があって初めて芸術となる。
 和食は庶民の中から出でた芸術である。

 日本の家庭は、朝、昼、夕の三食を基本とし、母親は日々の忙しい中、できる限りの料理で家族を支えてくれる。
家族は、食べる前に食材に対し手をあわせ「いただきます」と感謝を捧げ、食べ終わると料理してくれた人へ「ごちそうさまでした」と感謝を伝える。
その日一日の中でいろいろあっても、夕食のその時にせめて笑顔に返れるように、との祈りがある。

 永い歴史の中で、日本人はこうした感謝の気持ちを大切にしてきた。
そして、自分以外の他人の立場を大切に扱ってきた。時には、その他人のために我が身を投げ打つ事を由とした。侍とは、己を捨てて儀のために命をかける覚悟を表す。
穏やかな中にも最大の尊厳を持って事に当たることに美徳を感じる。それこそが日本人である。
不思議なことにこの文化だけは途絶えたことがない。
 未だに、若い日本人の人達にも受け継がれていることを感じる。
和食がある限り、日本人の心は失われないだろうと思う。

 私たち日本人は何があっても、他国の国旗を燃やしたり、踏みつけたり、文化を引き裂いたりのパフォーマンスをしない。
それは、心の中にそうしたパフォーマンスに意義を見出せないからである。
スポーツでも、戦う相手に尊敬の念をもって全力で戦うのが日本人である。
 一般人の心にも、そうした意識を美徳として誇りに思う心を幼い頃から身に着けている。

最近、ニュースで公立図書館で「アンネの日記」が破られたという報道があった。
我々日本人には、まるで考えられない衝撃である。アンネの日記は我々日本人にとっては、馴染みの深い本でありどんな境遇にも逆境にも明るい希望を失わない心に尊敬を感じる本であり、それは、今回のソチ五輪の浅田真央選手の演技にも現れている。
 このアンネの日記を引き裂く事件。そこには、いろいろな政治的策略があるのだろう。

 どこの国の策略かはわからないが、このような行動で何をしようとしているのか。ほんとうに悲しむべき行動である。
日本に来て、そのようなことをする前に和食を食べることを勧める。自分が生きるために犠牲となった命に感謝をし、活かされていることに感謝をし、心穏やかにして、自分の心「良心」を見つめてみるといい。
人を貶めるより、穏やかな心になって自分の良心に素直になるといい。
平和の祭典が終わる時期にこのような事件が起きたことに悲しみと憤りを感じる。

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